ある少年と青年の出会い
担任の先生が引っ越すことになったから、新しい先生が来た。まだ若い男の先生。
普通なら先生なんて替わろうが、いなくなろうが僕には興味のないことの筈だったけど、その先生は特別だった。
蒼い空。彼を見てると、空が心に浮かんでくる。綺麗な晴れた青空に、綿菓子みたいな雲が浮かんでて、柔らかい日差しが心地いい。そんな空。
外は雨が降ってて、灰色の空。でも、僕の心は先生を通して蒼い空を写していた。
僕は周りから見て“変わっている”らしい。
絵を描くのが大好きで、授業中だろうが休み時間だろうが、絵筆とパレットを手に絵ばかり描いている。
前の担任の先生が
「そんなことじゃどこの高校にも入れないし、将来困るぞ」
とかって押し付けがましく言ってたけど、僕にはそんなことはどうでもよかった。
ただ、ずっと大好きな絵を描いていたかった。お腹が空いても、病気になっても
、ずっとずっと、死ぬまでずっと。
別に死んでも構わなかった。大切なモノなんてなかったし、生きている理由もただ、絵を描くためだったから。
みんなはどうして好きでもないことばかりして生きていたいと思うんだろう?
僕から見れば、みんなの方が僕よりずっと“変わっている”。
その日、国語の時間。新しい担任の先生の初めての授業でも、僕は相変わらず絵を描いていた。先生を見ると心に浮かんでくる、蒼い空を絵にしてみようと思ったんだ。
前の担任の先生に怒って割られちゃったのを接着剤でくっつけた、継ぎ接ぎだらけでボロボロのパレットの上に、青い絵の具と白い絵の具を出す。
それを何度も投げ捨てられてボロボロになった絵筆で混ぜて、空の蒼を創るんだ。
僕は空の色に染まった絵筆を動かして、画用紙の上に空を創っていった。
時々こっそりと先生を見て蒼い空を心に思い浮かべ直しながら、一生懸命絵筆を走らせる。
ふと気が付くと、先生が僕の隣に立って僕の絵をじっと見ていた。
顔を描いているわけじゃないんだから、先生を見て描いてるなんてわかりっこないと思うけど、それでも本人に見られて頬が熱くなる。
やっぱり怒ってるかな? いつもはそんなこと気にしないけど、なんとなくこの先生には嫌われたくなかった。
先生は絵から目を離して、俯いている僕をの方を見た。
「綺麗な空だね」
先生が笑った。蒼い空に眩しくて温かい陽光が降り注ぐ。そんな温かくて柔らかい笑顔。僕もつられて笑顔になる。
「今日は天気がよくないから少し気が滅入っていたのだけれど、この空のお陰で元気がでたよ。ありがとう」
蒼い空に笑いかけられて嬉しくて仕方がないはずなのに、顔が熱くて胸が苦しかった。
周りの子が口々に贔屓だとか、授業はちゃんと受けないといけないのにとか、言い出した。先生は困ったような顔をして、そのあとしかつめらしい表情を繕って僕の方を向き直った。どんな表情をしても穏やかで綺麗な雰囲気がなくならない、不思議な人だ。
「空が綺麗だったから、つい・・・。でも、確かにみんなの言うとおりだね。君、ちゃんと授業を受けないといけないよ」
先生はそう言いながら、ほったらかしにされていた僕の国語のプリントの端に、他の子に見えないように走り書きをして、教壇の方へ戻って行った。
その走り書きを見て、僕は頬が弛むのを抑えるのに苦労する。
そして僕は絵を描き続けた。蒼い蒼い、空の絵を。
嘘。空、描いていてもいいよ。
ただし、書き終わったら僕にも見せて欲しいな
放課後、僕は一人でぼんやりと渡り廊下に立って雨を眺めている先生を見つけて、駆け寄った。
「先生・・・」
遠慮がちに声をかけると、振り返って笑ってくれた。眩しくて温かい笑顔。
顔が熱くて仕方がないのは、先生の笑顔が温かいから?
「やあ、さっきの空の子だね。何か用かい?」
「空、描けたから・・・・」
「わざわざ見せに来てくれたのかい?」
そう訊かれて僕は黙って頷くと、絵を差し出した。迷惑だっただろうか?
「嬉しいなぁ。ありがとう」
先生が僕が差し出した絵を丁寧に受け取って、目を細めて眺めている。
僕の描いた空が、ほんの少しでもこの人の温かい笑顔の素になっているんだ。
そう考えると、嬉しくて仕方がなかった。
「明るくて、優しくて、元気がでるような空だね。心が温かくなるよ」
そう言って、先生が僕に絵を返そうとする。僕はそれに首を振った。
「その絵、えっと、その、よかったら・・・も、貰ってください」
この絵は先生を見て、先生の空を描いた絵だから。先生が元気が出ると笑ってくれて嬉しかったから。だから、僕が持っているより先生に貰って欲しかった。
「本当にいいのかい?」
先生の問いに、僕は痛くなるぐらいにぶんぶんと首を縦に振った。
「嬉しいなぁ。ありがとう。大切にするよ」
そう言って先生は、絵を大事そうにそっと引っ込めてくれた。
僕は今、世界一幸せになれた気がする。
外は雨、空は灰色、だけど、僕の心は晴天青空。まるで先生みたいに綺麗な蒼い空だった。
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