第十話 願い


 「あ・・・、お、おはようございます」
 教室に入ると、教壇に蒼志がいた。羽奈は挨拶こそしたものの、つい声が震えてしまう。
「ああ、・・・おはよう」
蒼志もそう言って笑ってくれたが、その声にはやはり精彩が欠けていた。  二人の間に流れるぎこちない空気が、お互いの心を蝕む。
 羽奈は教壇の目の前の席に座って、始業のチャイムを待つ。いつもは蒼志と他愛ない話をしてすごす時間のはずだが、今日はお互いに口を開かなかった。
 いつもはすぐに過ぎる筈の始業までの時間が、今日はやけに長かった。


 お昼休み、羽奈は重い足を屋上に向ける。蒼志と一緒にいたい。だが、同時に彼と二人きりで向き合うのが怖かった。
 少なくとも羽奈の知っている蒼志は、恋人がいるのに遊びでどうでもいい相手と口付けを交わしたりはしない。蒼志は本気で美輪先生のことを・・・。
 そう思うと、今にも蒼志の口から別れようという言葉が紡ぎ出されるような気がして、怖くて仕方がなかった。
 重い心に引きずられ、屋上に行くのがいつもより遅くなってしまった。これでは昼食を食べている時間はないだろう。だが、羽奈が屋上につくと蒼志はお弁当を食べずに待ってくれていた。もう、食べている時間はないにも関わらず、何も言わずいつものように羽奈の分のお弁当を手渡してくれる。
 「先生・・・それは?」
羽奈は蒼志からお弁当を受け取って、彼の分がお弁当ではなく購買のパンなのに気付く。
「ああ、私の分はね、あげてしまったんだよ」
「・・誰にですか?」
本当は答えを聞きたくない問いを口にする。もしかしたら、自分の思っている答えと違うかもしれない。そんな一抹の希望を込めて。
「美輪先生にだよ」
だが、羽奈の込めた希望はあっけなく崩れ去った。
 彼の声で聞く自分の名前、彼の淡い口付け、彼の作ったお弁当・・・。どんどん消えていく、自分だけの蒼志。羽奈は瞳から溢れてくる涙を抑える術を持たなかった。
 「羽奈・・・・やはり昨日のお昼のことを気にしているのかい?」
まさか夜につけられていたことなど知らない蒼志の問いに、羽奈は首を横に振った。
「き、気にしてなんか・・・」
だが、その後が続かない。口を噤む羽奈を、蒼志が柔らかく抱きしめた。
 「羽奈、君に話さなければならないことがあるんだ。ゆっくり話したいから、今日の帰りに家で。構わないかな?」
頭上から蒼志の声が振ってくる。羽奈は彼の胸に顔を埋めてそれを聞いた。  いつもは大好きな蒼志の声。だが、今は何よりもそれが怖かった。
 「嫌だ・・・」
話なんか聞きたくない。本当のことなんて知りたくない。別れようという言葉も、貴方が自分以外を愛しているという事実も。
 そんなことを聞くぐらいなら、嘘を付いていて欲しい。騙していて欲しい。例え貴方が別の誰かを想っていても、側にいてくれるだけで、偽りでも笑ってくれるだけでいいから。嘘で塗り固められた幻想でも構わないから、僕から幸せを奪わないで。
 羽奈の声とそれに込められた願いは、鳴り響く予鈴に掻き消され、蒼志に届くことはなかった。



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