四、薔薇の魔法


 暫くすると女性は銀の盆にお菓子の乗った皿と、湯気の立ち上るティーポット、それにティーカップ、それから高級そうなキャットフードの乗った器を乗せて戻ってきた。彼女の瞳が僕を捉える。日本人にしては少し色素の薄い薄茶色の瞳だった。
「あら、何をしているの。お座りになって。それとも、お急ぎかしら?」
彼女のそう言われて、僕はハッとしたように空いた椅子に腰掛けた。
「お急ぎでないみたいね。よかったわ。私ったら、貴方のご都合も聞かずに、ごめんなさいね」
彼女は苦笑しながら僕の前に、ティーカップ、お菓子と並べていく。それから、ふと気付いたように椅子の上から伸び上がって彼女の方を見ているソラを振り返り、小さくウインクした。
「お客さんが先よ。少し待っててね」
嗄れた声なのに、お茶目な口調が凄く可愛らしく響く。
 彼女は僕のティーカップに琥珀色の綺麗なお茶を注ぐとその隣に小さな瓶とスプーンを置いた。
「このジャムを入れてロシアンティーにして飲むといいわ。とても甘くて美味しいのよ」
そう言い添えてから、彼女はソラの座っている椅子にキャットフードの器を置いた。ソラは待ちわびたといった様子で、椅子の上で熱心にキャットフードに口を埋め始める。
 「いただきます」
僕もソラに習うことにした。言われた通りに鮮やかな薔薇色のジャムをスプーンで掬って紅茶に落とす。すると、紅茶の中でふわりと花弁が広がった。ティーカップを持ち上げると、若干甘めの紅茶の香りと匂い立つ薔薇の香りが湯気に乗って僕の鼻をくすぐる。僕はその香りを深く吸い込むと、ゆっくりとカップに口を付けた。
「美味しい…」
自然と感想が僕の口をついて出た。紅茶の渋みの中に混じる薔薇の甘みは砂糖のそれよりも上品で、しつこくない。
「お口に合ってよかったわ。そのジャムは私が作ったのよ。そっちの木苺のパイも私の手作りなのよ。お口に合うといいのだけど…」
彼女に勧められて僕は今度はパイを口にする。サクサクしたパイ生地と甘酸っぱい木苺の味は、しつこさがなくやっぱり僕の好みだった。
「こっちも…美味しいです」
僕が食べている間ずっと眺めていた彼女が、その言葉に花が綻ぶように笑う。皺だらけの顔なのに、まるで少女のような笑みだった。
「気に入って頂けたのね」
「もちろんです」
僕は心を込めて頷いた。
 「えっと、お名前を伺っていいかしら? 私は薔薇(しょうび)よ。美輪薔薇。薔薇と書いてショウビと読むの。変わっているでしょう?」
「はい。でも、とても綺麗なお名前です…薔薇さん」
僕は彼女の名前を噛みしめるように口にした。声に出すと何となく天谷かな響きを含んでいる気がする。
「ふふ、嬉しいわ。綺麗と言われるのはいくつになっても嬉しいものね。たとえ、名前のことでも」
「貴方自身は、お名前よりももっと綺麗ですよ」
我ながら歯の浮くような言葉だ。でも、別にお世辞だとかそういうのではなくて、自然と口に出た言葉だった。皺だらけ肌、白い髪…それでも、彼女はすごく綺麗だった。
「まぁ、お上手。ふふっ」
微かに頬を染めて少女のように恥じらって見せる彼女はひどく愛らしくて、思わず頬が緩む。この表情を見るために、歯の浮くような言葉ぐらいいくらでも口にしたいと思った。まして、先程の言葉は僕にとっては事実だ。
 「やっと笑ったわね。そうしていると、貴方も綺麗よ」
「……え?」
僕は不意に言われた言葉の意味が判らずに問い返した。彼女は至極満足そうに僕の顔を眺めている。
「あら、気付いてなかったの? 貴方、ここにいらしてから今まで一度も笑わなかったのよ。それはもう憂鬱そうな顔をしていらしたわ」
言われて考えてみると、ここに来てからどころか、ここ最近笑った記憶がない。別にずっと母のことを考えていたわけではないが、いつも心のどこかに母の影がさしていて、僕を楽しいだとか愉快だとかいう気持ちから遠ざけていたような気がする。  けれど、彼女の笑顔がまるで春の日差しのように冬の闇の間から温かさや光を投げかけてくれたんだ。
 「ありがとうございます」
僕は再び笑ってそう言った。
「私は何もしていないわよ」
「それでも、僕が笑えたのはあなたのおかげですから」
「変な人ね」
僕が必死にそう言うと、彼女は愉快そうに微笑んだ。僕もその笑顔に自然と笑みが浮かぶ。
 僕には彼女が御伽話に出てくる、優しい魔法使いのおばあさんに見えた。彼女の魔法は僕の心を温かにしてくれる。
 僕たち、二人と1匹は日が暮れるまでお茶を飲みながら他愛のない話をした。その心地よい時間はあっという間に過ぎ去ってしまう。
 「また、いらしてね。お待ちしているわ」
帰り際、薔薇さんが言ってくれたその言葉を大切に胸にしまい込み、僕は帰路についた。



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