八、花開く


 僕はソラに引っ張られるように、薔薇さんの元に向かった。
「蒼志さん。よかった、今日は遅いからいらっしゃらないのじゃないかと心配していたの」
薔薇さんはそう言って、用意してあった僕のティーカップにお茶を注いでくれる。立ち上る湯気が甘やかな香りを僕の鼻腔へと運んできた。
 僕は薔薇さんの言葉に曖昧に頷いた。彼女の柔らかな声は僕を包み込むように耳に響くのに、言葉はまるで頭に入って来ない。紅茶のカップを手に持って、彼女がお茶菓子を用意する姿をぼーっと眺めていたら、彼女が不思議そうに僕を見返した。途端に顔に熱が上がって目を逸らす。下を向けば、一向に嵩の減らない紅茶が手元で湯気を吐き出していた。
 僕は薔薇さんの姿を見たいのに、あの、少女のような可愛らしい仕草を、穏やかな笑顔をこの視界に納めたいのに、まるで体がそれを拒否するかのように、視線が上げられない。あの人と目が合うと頭に血が昇り心臓が早鐘のように鳴り響く。これが恋をするということなのだろうか。恋をしている人は誰もがこんな経験をしているのだろうか。僕は初めての体験に戸惑っていた。
 「蒼志さん、どうかなさったの? お茶…お口に合わなかったかしら?」
思考の海に沈んでいた僕を薔薇さんの心配そうな声が現実へと引き上げた。
「え、そんなことないです…とっても美味しいです!!」
「美味しいって…蒼志さん、一口も召し上がってないんじゃないかしら」
「あ…すみませんっ…頂きます」
僕は慌てていつの間にか温くなったお茶に口をつけ、お茶菓子のタルトにフォークを突き刺した。でも、いつもは僕の舌を甘く潤す薔薇さんのお茶とお菓子なのに、今日はどんな味かすらもわからない。
 「どうなさったの? 今日は様子がおかしいわ。何かあったの?」
薔薇さんは心配そうに僕の顔を覗き込んだ。僕は心配をかけてしまった申し訳なさと、それでも拭いきれない恥ずかしさとが重なって薔薇さんから視線を逸らす。
「…ごめんなさいね、言いたくないこともあるわね。お茶、冷めてしまったから新しいのを淹れましょう」
そう言って僕のカップを取り上げ、キッチンへと持って行く薔薇さんの声が悲しそうで、僕はその後ろ姿を追いかけて彼女の背中を抱き締めた。
 「ごめんなさい、薔薇さん。違うんです…その…恥ずかしかったんです。貴方の顔を見るのが」
僕は腕の中に温かな温もりを感じながら、その温もりを縋るように抱き締めて気持ちを口に出した。
 口に出すのは、彼女に伝えるのは怖かった。彼女はきっと孫みたいな歳の僕をそんな風には見ていないだろう。もしかしたら、嫌われるかもしれない。二度とこうして一緒にお茶を飲めないかもしれない。でも、そんな自分の勝手な気持ちで彼女を傷つけたくはなかった。どうせこんな様子では彼女に心配をかけてしまうんだから、いっそ言ってしまった方がいい。彼女なら、受け入れてはくれなくても、受け止めてはくれるだろう。僕の大好きな薔薇さんはそういう人だと思う。
 僕は喉の入り口で震えて出ようとしない声を外に押し出した。
「…僕は…薔薇さんのことが…好きなんです。愛してるんです!!」
薔薇さんの柔らかな体が僕の腕の中で小さく震えた。
 振り返った彼女の瞳が涙で濡れていた。僕はどうしていいかわからずに、ただそれを見つめる。頬に伝う涙を懸命に指先で拭う彼女を、僕は綺麗だと思った。
「今の…本当よね? 夢みたいだわ…」
薔薇さんがほんのりと薔薇色に染まった頬を自らの掌で包み込み、瞳から涙を零している。
 僕はそっと彼女を抱き締めた。彼女は黙って僕の胸に顔を埋めている。僕はただ待っていた。彼女の言葉を。
 どれくらいの時間そうしていただろう。そう長い時間ではなかったはずだ。もしかしたら、一瞬だったかもしれない。それでも僕には、その時間がすごく長く感じられた。まるで何時間もそうしているかのような気分だった。
 そして、彼女が顔を上げた。温かい色合いの瞳が、少し潤んでそれでも真剣に僕の瞳を見つめていた。
「私も…私もよ。貴方のことを愛しているの!! 笑ってくれても構わないわ。こんなお婆さんになって…いつの間にかまるで少女に戻ったように、貴方に恋していたの。でも、言うつもりはなかったわ。言ってしまって…貴方と気まずくなるのが怖かったの。それなら、言わずに今まで通り一緒にいられる方がいいと思ったのよ。でも…そしたら…貴方が……信じられないわ」
薔薇さんの頬を再び涙が伝った。僕はそれを指先で拭ってから、彼女をじっと見つめた。
 どうしてそうしたのかはわからない。ただ、僕は何か見えない手にでも押されているように、彼女の顔に自分の顔を近づけた。彼女がはっとしたように赤くなって、それから瞳を閉じる。僕もそれにつられるように瞳を閉じた。彼女の甘やかな香りが少しずつ近付いてくる。僕は不意に目を開けてしまった。視界に映ったのは同じようにぱっちりと開かれた彼女の瞳。急に僕の頬に熱が上がってくる。それは彼女も同じだったようで、見る間に頬が薔薇色を通り越して真っ赤に染まる。僕らはどちらともなく跳ね上げるように顔を逸らした。お互い背中合わせになって下を向く。
 そっと振り返ると、同じように肩越しに振り返った彼女と目が合った。そして、どちらかともなく笑い声が溢れる。声を弾ませて笑い合う僕らをソラの蒼い瞳が見つめていた。



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