第四話 焼き餅 〜10〜


 玄関を越え、リビングに向かう途中に水鈴が不意に冷也の手を引っ張った。冷也が振り返ると、眉根を寄せて怪訝そうな表情をした水鈴がじっと彼を見つめている。
 「冷也・・どうしてそんなに怒っているんだ? 私がせ・・神崎先生を名で呼んだのがそれ程いけなかったのか? それとも帰ってくるのが遅くなってしまったかせいか?」
水鈴には冷也の不機嫌の理由が理解できなかった。確かに遅くなったのはよくないことだが、ちゃんと連絡もしたし冷也も了承したはずだ。泉を名前で呼んだことだって、確かに冷也の言い分は正論だが、呼ばれた本人が構わないと言っているのに冷也がそこまで怒るのは筋違いというモノである。
 冷也は答えようと口を開いたが、声に出す前に口を噤み、苛立たしげに一度髪を引っかき回すと表情を緩めて改めて水鈴の顔を見つめた。
 「悪い・・怒ってるわけじゃないんだ。・・・ちょっと、焼き餅を焼いただけだ。気にしなくていい」
水鈴の頭に軽く手を置きながらの冷也の言葉に、水鈴はきょとんとして彼を見つめた。
「そなたも焼き餅か? 泉も同じことを言っていた。私にはよくわからぬ」
 水鈴の言葉に、冷也は一瞬あの憎たらしい教師に同情してしまった。水鈴の鈍さはそれこそゾウアザラシ並である。
 もっとも、同情したのはほんの一瞬で改めて泉が自分と同じような感情を水鈴に抱いているのを確認して、すぐに不快感を募らせることになったが。
 「そんなもの、本当は分からない方がいい」
冷也はそれだけ言うとそれっきり、黙り込んでしまった。


 「冷也、ひとつ訊いても良いか?」
夕食の席、冷也の作ったカレーを口にしながら水鈴が不意に深刻そうな表情で口を開いた。
「ああ、どうしたんだ?」
「そなたは、どうして人を傷つけてはいけないと思う? 私は人を傷つけてはいけないことは、当然だと思っていたのだが、その理由を訊かれて上手く答えることができなかった。私は自分がどうして人を傷つけてはいけないと思っているかすら、わかっていなかったんだ」
 当然すぎてわからないと言う水鈴に冷也は笑みを漏らした。その方がいいのだ。理由があるものはそれがなくなれば覆る、強固なようで危ういのだ。理由などなく当然に感じているものにはそれがない。
 「理由なんかなくてもいいんじゃないか? それが“心”なんだと、俺は思う」
「理由は、いらないのか?」
「ないものは仕方がないだろう? 無理につける必要はない。理由がないからこそ、純粋な“心”なんじゃないのか?」
「そうか。単純なことだったんだな」
水鈴は心にひっかっかったものが取れて、安堵の息をついた。ほっとしたような彼の表情に、冷也も傍目から見てそれと分からないぐらいに口の端を上げて目を細める。
 水鈴は肩の荷が下りた様子で、カレーを勢いよく口に入れる。
 「冷也、お代わりが欲しい」
「ああ」
水鈴の言葉と共に差し出された皿にご飯とカレーを盛って、それを水鈴の前に置いた冷也を見上げて、水鈴の蒼い瞳が穏やかに細められた。
 「冷也、ありがとう」
「ああ」
 冷也はいつの間にか、自分がさっきまで嫉妬に犯されて不機嫌だったことをすっかり忘れ去っていた。



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